弔いの詩。
昔はそこそこ栄えていたこの日報ぶりゅりも、今や廃れきってしまった。まあ私以外のメンバーの忙しさ具合が煮詰まっているため、仕方ないと言えよう。そんな中、ぶりゅらー唯一の暇人である私が投稿をサボっているのだから、廃れてしまうのは当然である。
ほとんど投稿しなくなったにも関わらず、毎日約300件ほどアクセスされているのはとても有難いことだ。恐らくオレカバトルの記事がバズっているからだと思う。今も昔も、オレカバトルは有力コンテンツなのだ。
冗談はさておき、本題に入ろうと思う。
数ヶ月ほど前から薄々気付いていたが、現在私が愛用しているAirPods(命名:えあぁぽっづ 名付け親:OpRabbit)の命の灯火が消えかかっている。ちな純正。
これは非常にまずい事態。マジでまずい。
家にいる時間、というより他者と関わっていない時間の90%後半強をイヤホン装備状態で過ごしているため、とっくのとうに必需品と化している。そんなえあぁぽっづが死にかけている今、どうして冷静でいられようか。
以下、死にかけていると主張する理由を述べる。
イヤホンというものは靴下や手袋と同じで、左右でワンセットである。と、仮定する。
この仮定のもと、私は両耳にえあぁぽっづをあてがって生活していた。ある日、右えあぁぽっづから音が聴こえなくなった。充電が切れたのだと考え、右えあぁぽっづのみをえあぁぽっづ本体に戻した。その時は深く考えていなかったのだ。
次の日、そのまた次の日と、右えあぁぽっづの充電が切れる日が続いた。段々と右えあぁぽっづの寿命が短くなっていたが、見て見ぬ振り。
いつしか、右えあぁぽっづを装備することなく、左えあぁぽっづだけで生活するようになった。今もなお。
時々ドキドキしながら右えあぁぽっづをつけてみるものの、僅か数秒で音は消え、無音を流し始める。もはやイヤホン型耳栓である。私が左耳しかえあぁぽっづを装着しないのはこれが理由。
夜寝る前、スマホとえあぁぽっづの本体に充電器を突き刺すことがルーチンワークである。朝起きると、スマホは完全な状態でスタンバイしている。しかし、えあぁぽっづの本体はそこそこヘロヘロな状態。なんで。
充電コードが壊れている可能性を考慮し、充電コードを入れ替えて寝たことがある。全くもって変わらなかった。
右えあぁぽっづに続き、えあぁぽっづ本体も使い物にならなくなっている。そろそろ買い替えろと、暗に伝えているのだろうか。
思い返すと、そこそこ酷使している。ブラック企業並み。ブラック企業で働いたことがないため説得力は生まれないだろうが、恐らくこの表現は間違っていないはずだ。それくらい無理をさせてきた。
限界だと訴えかけるえあぁぽっづに無理をさせるほど、私の性根は腐っていない。感謝を伝えて、さっさと新しいものを買おうと思う。
今までありがとう、えあぁぽっづ。
君と過ごした日々は決して忘れない。
「さっさと」なんて言ったものの、今の私にはBeatsのワイヤレスイヤホンを買えるほどの経済的余裕はない。まだ数ヶ月は現役で頑張ってもらわなきゃ、だぜ。
図1. 顔を書かれたえあぁぽっづ
図2. 天井に貼られたえあぁぽっづ
どちらも犯人はOpRabbit。あれはろくな事をしない。
日報排便者 D-genius