日報ぶりゅり

普通の人間たちが書く日報?。~日報なのに不定期更新。大過疎状態ぴえんの森遭難中まぢぴえん~

日記 5/31

自己肯定が私が人の体(てい)を為すためにそれなりに重大な役割を果たしていることは今更論ずるまでもない。別段両親からそのような教育を受けたというわけでもなく、自分自身が自己をそのような形と定義づけることでかえってこうした性質が形成されたといったほうが事実に近いだろう。何かと意思の弱く勝負事から目を背けがちな私だがそれはそれとして亀井美柚たる私を"演じ"きれるのは私だけなのである。こういった理論武装というか寧ろ屁理屈のようなもので外殻を保護してぬるま湯に浸かりつつそれなりの道程を歩んできた。

自己肯定に限らずとも私が得てして欲しているものに他者からの肯定があった。これは概念を善と悪とに二分しての肯定ではなく否定の裏返しとしての肯定である。許されたいといったほうがより実際に近いかもしれない。よく私がそこらへんに落ちている塵芥を拾い上げていることがあるがなんのことはない、あれはどちらかと言えば自分の為にやっているのである。情けは人の為ならずなる言葉の論理的脆弱性を突いて日常を生きている。

ときに何かの拍子にこの自己肯定が失われることがありこうなってしまっては中々難儀である。何しろ自分自身で与える肯定である、因果が逆転しているから一度バランスが崩れてしまうと掛かった慣性に逆らうためにそれなりのエネルギーが必要になる。私がよく力を借りるのは食欲であった。満腹というのはやはり本能的な幸福をもたらしてくれるものである。この依存的感情の矛先が向いたらと思うと空恐ろしくて飲酒には手を出せずにいた。ただ他人より若干長めだった成長期もそろそろ終わりかけ最近は食べたら食べた分だけ肥えるのが悩みの種ではある。一昨日の夜も漠然とした不安を解消すべく凡そまともな人間なら熟睡しているである時間帯にそれなりに多い牛丼を食らっていた。それも時勢の影響から店内で食べることはできないからわざわざ持ち帰って、である。我ながらどうかしているとしか思えないがこのように衝動的に暴飲暴食をしたくなる、というかしてしまうことはある頻度で私にとってはありふれたことであった。

さて5月もいつの間にか過ぎ去り晦日を迎えた私が目覚めたとき1限は既に落ちていた。午前も3時過ぎにカロリーをコーラで流し込んで臥していたのだからどちらかというと当然のことである。私は気怠い頭で本日のメニューを思い出し、合わせて三つのコマを落とすことが短期的にはさして問題のないことを確認すると、結果的に今日一日を清算として自主的な休講に充てることを結論づけ、そのまま横臥を維持することにした。

次に目が覚めたときにはあろうことか4限が終了していた。自分で全休すると決意したとはいえまさか横になっているだけで一日が終わってしまうとは驚き半分情けなさ半分である。そもそも自己肯定が足りていないからこんな状態になっているのにこのような体たらくでは何処かに表示されている体力のメータは下がる一方である。取り敢えず夕食にし、シャワーでも浴びるかと思っていたところ何故かまた眠りに落ちてしまい、はっとして目覚めたときには日付が変わろうとしていた。

しかるにこのとき私には私はこの一日を特になにを学ぶでも生み出すでもなく只々転がっているだけで消費したという事実が頑として突き付けられたわけである。それも週末日曜ならまだしもれっきとした平日にこんな堕落そのものといった様を自分自身に晒したというのは心情的に厳しいものがあった。他人からどう思われようがそれが即座に体調を圧迫することは稀だが他ならない自分からの低評価となれば話は別である。状態を的確に表現することができる語句が存在して文を書くには好都合であった。私はまるきり憂鬱になった。

私が住んでいる場所から数百mのところにセブンイレブンがある。このセブンイレブンには親元を離れて入学して以来冗談抜きで何百という回数訪れていた。特に夜勤のSという店員さんとはここ数年両親よりも多く顔を合わせており、向こうがどう思っているかはさておいて私としては馴染み深いものであった。そんなセブンイレブンだったが昨今の感染症対策の流れからかキャッシュレス決済の普及からかついにセルフレジが導入されることになっていた。セルフレジと言っても商品のスキャンは店員が行い決済方法の選択と決済のみが客に委ねられているタイプのものである。したがってレジの配置が急変したとかそういうことはなく、向かって左側のPOS端末がちょうど半回転してこちらを向いたようになっている他はいつもと変わらない店内であった。

時間帯から癖でセブンイレブンへと歩いてきてしまったがここで問題が生じた。空腹状態ではないのである。考えてみれば一日のほぼ全部を惰眠で消費したくせして残りの起きていた時間のほぼ全部を使って食事していたのだから無理もない。そのことに思い至った私は弁当の並んだ冷蔵庫の前で呆然としていた。日常的に眺めている冷蔵庫の中の景色がまるで取るに足らないものであるかのように思えた。そこにいつものような魅力はなかった、それは私が私に下した評価の裏返しであった。

スウェット姿のサラリーマン然とした男が右からやってきて、私に左手を立てて会釈すると迷いのない手つきで漬物と酢モツを拾っていった。そこで漬物こそがソリューションであるということに私は思い至り、加えて交流を介して私の外郭をなぞってくれた男に感謝した。立ちどころに自重で潰れそうになっていた人格がやる気を取り戻していくのがわかった。私は自分の精神に慣性が働くことを知っている。男に倣って漬物を掴みレジに並んだ。男はレモンサワーであったが私は麦茶であった。

レジは例のSさんが対応していた。男も昨日付けで開始されたセルフレジの扱いに戸惑ったらしく、すこしまごついたが程なくして私の順番になった。Sさんが漬物にハンドスキャナを当てるとレジがエラーを吐いた。

光っている方を見ると返却口から釣銭と思われる数枚の千円札が顔を出していた。どうやら先程の男が取り忘れていったものらしい。取り敢えず私の側へ出ているからそれを掴み上げてSさんへ手渡したがSさんは導入当日のイレギュラーに焦っている様子でその取り扱いに難儀している様子だった。しばし逡巡したが荷物を置いて自動ドアの方へ走った。店外へ出ると男はまだ駐車場を歩いていた。すみません、お釣り忘れてないですか?そう問いかけた。我ながら突然まともな音量で発言ができたことに驚いた。男ははっとした様子でこちらへ戻ってきた。ほどなくしてSさんが札を持って出てきた。二人に二人してお礼を言われなんだか嬉しくなってしまった。他者からの承認を得るということ、社会に参画するという実感が湧いた。いえいえ良かったです、それだけ言ってレジへ戻った。会計を終えるとSさんに少しお待ちくださいと言われた。訝しんでいると何故かアメリカンドッグが手渡された。お礼ですので、とのことだったので有難く頂戴した。現代日本のコンビニでこんなことがあるのか。

再度店外へ出ると晴れた空に月が輝いていた。どうやら私は今回もなんとか精神の低迷を抜け出すことができそうである。