日報ぶりゅり

普通の人間たちが書く日報?。~日報なのに不定期更新。大過疎状態ぴえんの森遭難中まぢぴえん~

存在理由。

「これって、なんでこうなってるの?」

どこの国にどう産まれようが、きっと抱くであろうこの疑問。残念ながら、この疑問を抱く余裕もない人もいるだろうが。万国共通と言っても差し支えはないはずだ。音楽とこの疑問は言語の壁を超える。私はそう思っている。少なくとも私が言語の壁を超えることはない。

 

幼き頃の私は、いつもこの疑問を抱いていた。添い寝していたといっても過言ではない。

幼き頃は探究心で満ち溢れていたのだが……。どこで道を間違えたのだろう。

いや、間違えてなんかない。私の歩む道が正解なのだ。正解の基準は私なのだ。探究心を失ったのは少し勿体ないが、まあこれも一興である。人生なんて楽しんでなんぼなのだ。

 

物事には存在理由がある。

毛布はカラダを暖めるためにあるし、お金は平等に物々交換を行うためにある。世界を変えるために私が存在しているし、細かい作業を行うために指が存在している。

何事も存在理由というものが設定されているのだ。なぜ耳たぶがあるのかは知らない。

「なぜ?」を追及すると、さらに多くの「なぜ?」が待っている。

 

例えば。

人間の脳が大きい理由を考える。

かつて四足歩行だった我々の祖先は、敵に囲まれていた。

遺伝子を残すまでは生きていたい。そう考えた彼らは、より遠くを見渡すため、敵の襲撃を避けるため、獲物を探すため、二足歩行に挑戦した。

二足歩行になると、今まで使っていた2本の足が手持ち無沙汰になる。そこで、我々の祖先は "武器" を装備することにした。棒と石。

二足歩行になったことで、自然と視線は高くなる。オスを誘惑するため、メスの胸部は魅力的に発達した。臀部に興味を持つオスは、恐らく四足歩行が得意なのだろう。

道具を扱い、より遠くを見渡すようになった。つまり、脳への負担が重くなった。得る情報量が格段に増えてしまったのだ。

生物というのは、環境や状況に適応することて進化してきた。全ては生きるために。

脳への負担が重くなったのであれば、脳を大きくして、負担に耐えられるようにしよう。我々の祖先はそう考えたのである。

 

「なんで脳が大きいの?」という疑問には、更なる「なんで?」が隠されている。探究心を失った私に、更なる「なんで?」を見つけることは難しいが、幼き子であれば、無数に「なんで?」を見出すことができるだろう。その「なんで?」にも「なんで?」は隠されている。

「なんで?」に限りなどない。

 

ところが。「なんで?」を突き詰めると、そこに「なんで?」はなくなるのだ。

「そうなっているから」としか説明できないもので「なんで?」は構成されている。

理不尽極まりない。この世界は狂ってやがる。

f:id:Bu-ryuri:20200517103100j:image

 

日報排便者 D-genius