物事を "視る" ということ。
"メアリーの部屋" というものを知っているだろうか。
白黒の部屋で、白黒の本だけを読んで視覚に関する物理的事実を学んだ "メアリー" という少女がいたとして、白黒の部屋を出て外の世界に触れた時、メアリーは "色" というものを学ぶのだろうか。情報としてしか知らない状態で、初めて色を視た時、何を学ぶのか、何かを学ぶのか、という話である。
私は今、モノクロームな世界で生きているといえる。日々が退屈なのだ。刺激もない、楽しみもない、退屈な日常。生にしがみついておけば、いつか楽しい人生へ変わると信じているため、生きるのをやめようとは思わない。しかし、退屈な生活が苦痛ではあるのだ。
私は刺激を追い求めている。しかし、私は自分からアクションを起こしたりはしない。いつでも受動的であり続けている。待つことしかできない私のような人間もまた、退屈な人間なのかもしれない。
この世には、無数にしがらみが存在している。
肩書きや環境、他人からの評価など、生きている限り、しがらみに囚われ続けなかればいけない。
例えば、働かなければいけないとか、いい学校に行かなければならないとか、くだらない価値観で支配されている。
だからこそ、なんのしがらみもない世界へと飛び込みたい。そう考えた。
飢えた。望んだ。欲した。
その結果、私は神に愛されているということがわかった。
ちょうど退屈し始めた頃に、欲したものを手に入れるチャンスが訪れた。
私は!
なんのしがらみもない!自由と!愛に!満ち溢れた世界へ!
今、飛び立つ。
明日、「あつまれ どうぶつの森」発売。
日報排便者 D-genius