日報ぶりゅり

普通の人間たちが書く日報?。~日報なのに不定期更新。大過疎状態ぴえんの森遭難中まぢぴえん~

夕日に映ゆる憎悪。

先人の築いた土台の上で生活している私たちは、やはり歴史を重んじなければならない。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があるように、過去には膨大な情報量が遺されている。『世界五分前仮説』信者である私も例に漏れず、僅か五分間の歴史から様々なことを学んでいる。

 

日本で暮らしていると、『四字熟語』と呼ばれるものであったり、『ことわざ』と呼ばれるものを耳にする機会にたくさん恵まれる。

もしかしたら日本以外にも四字熟語に似たものがあるのかもしれないが、私は日本から足を踏み出したことがないためわからない。経験がないのに偉そうな口を利くのは、私のポリシーに反する。

だれでも聞いたことあるであろうことわざとして、「犬も歩けば棒に当たる」や「猿も木から落ちる」などが挙げられる。しかし、本記事で取り上げるのはそんな生易しいものではない。

 

「病は気から」ということわざがある。病気は気持ち次第で軽くも重くもなる、という意味だ。

俄かには信じがたいが、昔から使われているという事実があるため、そう簡単には否定できない。

私が中学1年生の頃、理科の課題をやり忘れてしまったのだが、それを隠すために仮病を発症しようと試みたことがある。当時から演技派であった私は、貼らないタイプのカイロの助力もあり、余裕で早退までこぎ着けた。しかし、演技が上手すぎたせいか、その日の15時ごろ、高熱をだして病院に行く羽目になってしまったのだ。結局インフルエンザだと言い渡され、その週は学校に行けなくなってしまった。

このエピソードからわかるように、「病は気から」ということわざはガチなのだ。

その事実を踏まえたうえで、ここからは呪いについて話させてもらう。

 

「丑の刻参り」という言葉に聞き覚えはあるだろうか。

丑の刻参り丑の時参りうしのこくまいり、うしのときまいり)とは、の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込むという、日本に古来伝わる呪術の一種。

 一番ポピュラーな呪いだと思う。

しかし、病は気から理論でいうと、この神社の御神木に藁人形を釘で打ち込むという行為にはまったく意味がない自己満足という意味ではとても効果的ではあるが、憎い相手になんらかの悪影響を及ぼしたいのであれば、神社の御神木に藁人形を釘で打ち込み、憎い相手にそれを伝える必要がある。これはあくまで病は気から理論を考慮した場合の話であるため、病は気から理論を考慮しない人間、つまり愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ理論でいう愚者サイドにいる人間が丑の刻参りをする場合には、神社の御神木に藁人形を釘で打ち込み、憎い相手にそれを伝える必要はまったくない。神社の御神木に藁人形を釘で打ち込むだけでいい。しかしそれだと効果は表れない。病は気から理論だと、神社の御神木に藁人形を釘で打ち込む行為は呪いではなく、ただの変な行為なのだから、至極当然だといえる。

面と向かって「あなたを呪いました」と言い切れる胆力の持ち主であれば、そもそも呪いたくなるほど人を憎むことはないだろう。呪ったことを憎い相手に伝えることのできない臆病な人間だからこそ、呪いなどの、自分以外の何かに頼ることしかできないのだ。しかし、呪ったことを憎い相手に伝えなければ、ただ神社の御神木に藁人形を釘で打ち込む人。何もかもが無駄で、呪い擬きをしたあとには僅かな満足感しか残らない。

 

「人を呪わば穴二つ」ともいうし、誰かを呪うことにメリットはないのかもしれない。

嫌いな人間は無視して、より住みやすい世界を作っていこう。

 

そして最後にもう一つ。

私を嫌っているのなら申し訳ない。これからもっと羽ばたいていくつもりであるため、私を無視して生きることは不可能だと思われる。あきらめて好きになってみてはどうだろうか。

 

f:id:Bu-ryuri:20200716221630j:image

 

日報排便者 D-genius