優しさの根源。
私はバイトをしている。
お金を貰って労働しているのだ。
以前、「頑張ってるのに給料が低い」という意見を目にしたことがある。『労働力』を買ってもらっていると考えているからこその意見だろう。私は『時間』を買ってもらっていると考えているため、どれだけ忙しく、どれだけ頑張ろうが、事前に決められている分のお金を貰えれば満足する。常に忙しいとは限らない。あまり頑張っていない時もあるのだから、それくらいでなければ釣り合いは取れないはずだ。
そう思っていた。つい最近までは。
先日、いつも通りバイトに精を出していた。
コロナウイルスの影響もあって、以前と比べるとどうも客足が少ない。ソーシャルディスタンスを守るために、そもそもの席数を減らしているということも原因の一端を担っているのかもしれない。とにかく、あまり人が来なかった。
そんな中、1人のおばあさんが来店された。失礼ながら言わせてもらうと、あまり穏やかではなさそうな顔立ちをしていたため、第一印象はあまりよくなかった。御伽噺でいう『いじわるなおばあさん』といったところか。
恐らくなかなかの高齢者だった。少なくとも60は超えているだろう。あくまで私の予想ではあるが。
第一印象が覆ることなく、おばあさんが来店されて60分ほど経過した。
あまり詳しくは書かないが、そこらへんの成人男性並みの食欲があるようで、結構な量の料理を食べていた。たまに見かけるため特段驚いたりはしなかったが、印象深かったことは否定できない。
最後であろう料理を届けたタイミングで、飲み物がなくなっていたことに気づいた。
私は普段、あまり自分からお客さんに話しかけるタイプではない。必要最低限のことを伝え、プライベートな領域からさっさと退散する。
その時はたまたま、ほんの気まぐれで「お茶をお持ちしましょうか?」と声をかけた。特に深い考えがあったわけではない。もう少し機嫌が悪ければ、もう少し気温が高ければ、この言葉を口にしなかったかもしれない。
「お願い」と言われたため、お茶を持って行った。もしかしたら気を遣ってくれていたのかもしれないが、今さら考えても遅い。一生わからないままだ。
その後、変わったこともなく、おばあさんが席を立った。基本的に私がお金を取り扱うことはないため、「片付けしなきゃ」なんてことを思いながら皿洗いをしていた。そんな時、会計をしていたお姉さんから名前を呼ばれた。特に思い当たることもなかったから、何を怒られるのかがわからないまま顔を向けると、おばあさんから、とチップを差し出してきている。映画や小説だけのものだと思っていた、初めての経験に戸惑いながらも、辛うじて「ありがとうございます」と感謝の意をおばあさんに伝えたものの、とても失礼な第一印象を抱いたことを申し訳なく感じた。それと同時に、もう少し満足させられたのではないかという思いが心の中を蝕んでいった。
おばあさんが店から出る前に見せた満足そうな微笑みが印象深い。いつもと違ったことといえば、上で触れたお茶の件だけだ。
チップは「『労働力』に対してのお礼」という風に捉えているのだが、私はチップを貰うに相応しい接客態度をしていただろうか。
悔いても無駄だとわかっていても、忘れることはできない。頂いたチップを、胸を張って使える日は来るのだろうか。
日報排便者 D-genius